特別支援学級の担任をしていた頃、保護者や通常学級の先生方から
「この子は普通ですか?」
「平均より遅いですか?」
とよく相談を受けていました。
でも、“普通”という言葉そのものがとてもあいまいで、境界がどこにあるのかは誰にもはっきり分かりません。
そんな中で、児童精神科のドクターから聞いたある話(細かい部分は記憶があいまいなのですが…)が、私の見方を大きく変えました。
青と白の間は、ぜんぶ水色 ——(記憶の中のたとえですが)

私の記憶では、ドクターはこんな説明をしてくれた気がします。
「重度の障害を“青”、障害がない状態を“白”とするなら、その間の色は全部“水色”なんですよ」
濃い水色も、白に近い薄い水色も、どれも「水色」というひとつの色の仲間。
子どもの特性も、これと同じように捉えられるのだと話してくれました。(細かい表現は違っていたかもしれませんが、私の中に残っているのはこの“水色”のイメージです。)
- 言葉がゆっくり
- 気持ちが揺れやすい
- 集中が続かない
- 手先が不器用
- 得意と苦手の差が大きい
こうした特徴は、青か白かの二択ではなく水色のグラデーションのどこかにあるだけ。
この表現を聞いたとき、私はすごく救われた気がしました。
私自身も、水色のどこかにいる
そしてふと気づきました。
「あれ? 私も水色のどこかにいるな」 と。
緊張しやすい部分もあれば、苦手な作業もある。
場面によって強く出る特性もある。
大人だって、白でも青でもなく、
みんなそれぞれの“水色” を持っています。
この視点に立つと、“普通”の基準がガチガチに固まっていた心が、ふっと軽くなる気がするんです。
境界線ではなく“ゆらぎ”で考える
発達を「青 or 白」で分けようとすると、どうしても苦しくなります。
でも実際は、
- その子の状態
- その日の気分
- 家庭や学校の環境
- 出会う大人の関わり方
こうしたものによって、子どもの“色”はゆらぎます。
だから、どこからが障害でどこまでが普通、というきれいな線引きは本当はできません。
子どもを見るべきは「平均」よりも「変化」
平均や年齢基準は参考になりますが、それ以上に大事なのは、
- 昨日より落ち着けた
- 新しい挑戦ができた
- 気持ちを伝える方法が増えた
- 苦手な場面で助けを求められた
こうした、その子自身の小さな変化です。
水色の濃淡が、少しだけ動いたような――
そんな育ちを感じ取れると、関わり方もやさしくなります。
【保存版】発達障害のグレーゾーンと普通の違い|境界線を“水色の比喩”でやさしく解説のQ&A

- どこからが発達障害で、どこまでが「普通」なんですか?
-
はっきりした境界線はありません。
子どもの発達は青〜白の間に広がる“水色のグラデーション”のように、
濃淡がゆらぎながら変化していきます。
診断の有無よりも、日々の困りごとや生活しやすさを大切に見ることが大切です。 - グレーゾーンと言われたら、どう受け止めればいいですか?
-
“完全な白でも青でもない”というだけで、不安視しすぎる必要はありません。
環境や関わり方で変わることが多く、成長の幅も大きい部分です。
苦手な場面を一緒に整えながら、今のステップに合った支援をすることで、過ごしやすさが大きく変わります。 - 平均より遅れているのは大丈夫でしょうか?
-
“平均よりどうか”はあくまでひとつの指標です。
ゆっくり育つ子もいれば、急に伸びる時期が来る子もいます。
平均よりも、昨日との変化・その子なりの成長に目を向ける方が、発達の実態に合っています。 - 普通じゃないと思われないように、できることを増やしたほうがいいですか?
-
無理に「普通」に寄せる必要はありません。
無理な練習よりも、
・得意なことを伸ばす
・苦手なところを安心して助けてもらえる環境をつくる
これらの方が、子どもが安定して育ちます。
“その子の水色”を大切にすることが一番の近道です。 - 親として気をつけることはありますか?
-
子どもの色(特性)を「否定しない」ことがいちばん大切です。
できる・できないより、
「今日こんなことできたんだね」
「困ったときに教えてくれてありがとう」
といった、小さな関わりの積み重ねが安心につながります。
大人が落ち着いて“水色をそのまま受け止める”姿勢が、子どもに大きな安心を与えます。
【保存版】発達障害のグレーゾーンと普通の違い|境界線を“水色の比喩”でやさしく解説のまとめ

この世界には、青と白の間に広がる、たくさんの水色があります。
子どもも大人も、みんなその中のどこかにいる。
だから「普通かどうか」よりも、その子がどんな色で、どう変わっていくのか
そこに目を向けられると、子どもは安心して自分らしく育ちます。




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